2018.8.11 草刈り奉仕

来る8月24日の地蔵盆に備えて早朝6時から脱隊諸士招魂碑の草刈り清掃作業を実施しました。集まった皆さんのご協力で、作業は1時間と少しで完了しました。ご協力いただいた皆さん、暑い中、ありがとうございました。 清掃の終了を報告して、お参りしました。 こんなにきれいになりました。8/24は11時30分集合です、どうぞ多くの皆さんのご参集をお願い致します。 (Web担当 古谷眞之助)

第260回定例会 「総会」 2018.7.10

2018.7.10、総会を開催しました。松前会長の司会により議事を開始し、平成29年度事業報告、決算報告、監査報告がされて拍手により承認されました。続いて平成30年の事業計画、予算案が説明され、特に今年は明治維新150周年記念事業として、柴田初代会長が前々から提案されておられた、福田侠平遺髪墓の土台修理及び戊辰戦争並びに東日本大震災供養塔の整備が大内倶楽部事業として承認されました。またこれに伴い倶楽部会計より会員数×5千円の支出が承認されました。この事業については別途会員その他より資金カンパを募ること、さらには柴田初代会長からも多額の寄付をいただけることが説明されました。また申神副会長退任に伴い、近藤事務局長が副会長を兼任するという執行部人事案も承認されて、無事総会終了となり、乾杯、懇親となりました。 なお、今期事業として①地蔵盆事前清掃 8/11早朝6時~ ②地蔵盆8/24 1130~ ③福田侠平供養祭 11/11 ④忘年会12/11 ⑤1/12新年会の日程が決定しています。以下、楽しそうな会員の皆さんです。 そして恒例の全員記念写真です。今回参加は16名の方々でした。次回8/11早朝6時、脱隊諸士招魂碑での草刈り清掃でお会いしましょう。( Web 担当 古谷眞之助 )

2018.6.12 第259回定例会 講話「セピア色の街 スポレート」

 冒頭、会長のご挨拶に続いて、入江市議がこの度市議会副議長に就任されたことがご披露されました。さて、今回は山口在住の画家、ロベルト・ピビリさんとイタリア料理研究家の粉川妙さんの講演会でした。ご夫婦のお二人は一ノ坂川近くにお住まいで、ピビリさんは日伊協会YOVe'ST山口の理事長、粉川さんは山口市の地域おこし協力隊員も務めておられます。演題は「セピア色の街スポレート」で、まずは粉川さんがスポレートの街について概説から始められました。  スポレートは、イタリア中央部のウンブリア州にある中世の名残を残す街、ローマからリミニに伸びるフラミニア街道が通っており、かのハンニバルも攻めてきたという緑あふれる街との紹介がありました。小高い丘の上にある街ですが、これは外敵からの防衛を考えてのことだそうです。  続いてピビリさんが、フェルディナンド( 父も写真家 )が50年前に撮影したモノクロ写真を使って街を解説されました。ノグチ・イサムの作品、TrattoriaやBarに集まる陽気な人々、職人たちの日常、周辺の農村( スポレートのオリーブオイルはとくに有名 )など、飾らない、ごく自然な感じの街の風景が映し出されましたし、ピビリさんのお母さんの少女時代の写真( すごく可愛い )も出てきました。もちろん、ピビリさんのイタリア語は粉川さんん゛通訳されました。  そして最後に、粉川さんがイタリア料理について説明されました。イタリアの食文化については、朝食は軽く、甘いものを10時頃に、昼食はさまざまなバリエーションのあるパスタが中心で、午後2時半頃に取るのが普通、そのためか夜は午後8時以降にとって、週末ともなると午前2時頃まで、ワインを飲みながら延々とおしゃべりが続くのだとか。なかなか興味深いお話でした。  そして何と!本日は彼女お手製の大麦料理、鶏レバーを使用したパテ、ズッキーニ入りのフリッタータが特別にテーブルに並びました。また、今日は寿の木村ソムリエのご配慮でウンブリア州産ワインが用意されました。粉川さんの料理研究もテーマであり、いつも以上に豪華な食事に大満足でした。今月21日には寿で超お得なワイン会があるそうです。私は他とバッティングで参加できませんが、イタリア料理、ワインを堪能したい方は是非どうぞ。  さて、早いもので来月は総会です。多くの皆さんのご出席をお願い致します。 ( Web 担当・古谷 より連絡です。会員の方で、昨年大内倶楽部の費用で発刊した20周年記念出版物「福田侠平」をまだ受け取られておられない方、古谷までご連絡下さい。昨日お二人にお渡ししました )

2018.5.8 第258回大内倶楽部定例会 講話「山口における西田幾多郎」

まずは、恒例の会長の挨拶。今回は23名方にご出席いただきました。今回の講話は、放送大学山口学習センター長の岡村康夫先生にお願いしました。下堅小路の龍福寺入口付近にある西田幾多郎の下宿先はご存知だと思いますが、「善の研究」で著名な彼の山口在任期間( 明治30年9月~明治32年7月 )を中心にお話しいただきました。石川県生まれの幾多郎の山口の印象は「山口と申すところは誠に小さき処にて・・・」というものだったそうで、山口高等学校では英語ドイツ語、そして論理学を担当したとのこと。彼の家庭環境にはなかなか厳しいものがあり、常に小難しい暗い顔をしていたため、アルフレッド・G・チャールトンという英語教師からは、いつも「Are you happy?」と言われ、それが彼のニックネームになったとか。また山口市内では、露山堂、菜香亭などを訪れ、東鳳翩山にも登ったことがあるとのことで、もしかしたら山好きだったのかも知れません。また湯田温泉の「瓦屋」をよく使っており、送別会もここで行ってもらっており、鰐石橋から馬車に乗って三田尻まで行った由。なお、三田尻まで鉄道が伸びてきたのは明治31年3月17日のことなので、赴任時は広島から船だったものの、離任時は鉄道で行くことができたことになります。ご存知のようにこの旅館・瓦屋は湯田温泉の老舗の一つで、松田屋の裏にその碑が立っています。瓦屋旅館の娘が山田顕義と妻となったのは有名な話です。西田幾多郎と言うと「哲学の道」を思い出しますが、彼が下堅小路の下宿から山口高等学校まで、どのルートを通っていたかはよく分からないと岡村先生は言われていました。もし、はっきり分かれば、「山口・哲学の道」として売り出せるのに、と誠に残念至極です。 少しだけ西田哲学の話もされました。「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」「個人あって経験あるにあらず。経験があって個人はある」「純粋経験」「絶対意志」などという、ちょっと難しい話も岡村先生のソフトな語り口で解説していただきました。かつて少しだけ学んだ「哲学」のお話を、何か幼い頃の体験を思い出すように、懐かしくお聞きしていたような次第です。なお、先生のお話をもっと聞きたい方は山口市下竪小路45番地の西田幾多郎旧宅へどうぞ。http://yamaguchi-nishida.org/懇親会では恒例の近況報告に先立ち、入江さん、湊さんの市会議員当選のお祝いとお礼の言葉があり、そしてこの度、会員の片山さんが叙勲の栄誉に輝かれたという報告もありました。片山さん、おめでとうございます。( 残念ながら本日は欠席 ) そして、いつもの記念撮影です。来月もどうぞ奮ってご参加下さい。( web担当 古谷 記 )

2018.4.10第257回定例会 講話「山口点景」 柴田眼治初代会長

開会に先立ち恒例の松前会長のご挨拶。今回は20名の参加でした。 そして今回は、昨年4月の定例会以来ちょうど1年振りに柴田先生にご講話いただきました。また講話に先立って先生より、気楽にビールなど飲みながら聞いて欲しいとのお申し出があり、一同喉を潤しながら拝聴しました。おそらく初めてのことではないでしょうか。なお、今年は明治維新150年ですが、柴田病院も開設40周年という節目の年だそうです。 演題の「山口点景」のお話では、まず、山口五社( 今八幡、山口大神宮、桜木神社、長野八幡宮、船山八幡宮 )の木馬の由来について。また龍福寺の池泉庭の水の引水地が「魚切」付近ではないかという私見を披露され、また風水の思想に基づいて作られた山口の街並み、象頭山を陽とすれば姫山は陰に当たること、萩藩の医学校・好生堂の場所、腑分けを行った大村益次郎と柊の刑場跡の関係、そして姫山伝説、と組めども尽きぬ先生の知識をご披露されました。 第二部では、戦艦大和の主砲方位盤射手であった美祢出身の村田元輝大尉の話、また山口市の旧柴田病院近くに居住されていた海軍松山第343飛行隊長の志賀淑雄少佐の話を詳しくされました。村田大尉は腰を悪くされ、西門前にあった旧柴田病院に来院されていたとのことです。また愛媛の海岸で引き上げられた紫電改の展示館訪問時のお話など非常に興味深いものでした。 そして懇親会に入る前に、あらためて三大さんの音頭で乾杯!です。 その後、いつものように近況報告を全員が行って、恒例の記念写真となりました。次回も奮ってご参加下さい。( Web担当 古谷記)

第256回定例会「そば打ちデモンストレーション$解説」2018.3.12月曜日

いつもとは会場も開催曜日も変えて、今回は料理のできる会場ということで、大内地域交流センターに場所を移して「そば打ち実演と解説」の定例会となりました。解説していただいたのは「山口そば打ち倶楽部」会長の松田隆充さん、そしてそば打ちの実演は、認定二段の伊嶋正之会員でした。 まずは松前会長のご挨拶。今回はどういうわけか、特に「文学的」なご挨拶でした。 すでに準備万端。というかすでに20人分のそば打ちは済ませておられて、これからはデモンストレーションです。左が松田氏、右が緊張の欠片もない伊嶋氏です。 今回のそば粉は北海道産0.8kg、それに0.2kgの小麦粉を繋ぎとしていれて、「二八そば」を作ります。水の量が肝心で、基本的には定量の480ccを加えます。あとは状況に応じて1ccを加えることも。慣れた手つきで、そば粉があれよと言う間に丸いお餅のようになっていきました。 丸くなったら、次は伸ばしです。3種類の丸棒( 正式名は失念 )を使って、四角にしていきます。その技の見事なこと! そして、四角にのびたそばを四つ折りにして包丁で麺状に切るのですが、これにはエプロンを準備してやる気満々の入江さんも挑戦です。 しかし、やはり二段と素人の違いがはっきり出ましたゾ。左が素人、右が二段のそばです。 続いて麺を湯がきます。時間は1分10秒。しかし、これはそば粉の種類や気温などによって微妙に変えるのだそうです。黄色の皿に盛られたのが、あらかじめ打っていた10割そばです。 こちらが二八そば、わたしは二八が好みでした。 こちらが二八そばです。 美味しいそばを打っていただいたお二人には、会長と山田さんからお礼のお酒を。なお、当日はキリンビール、お酒に焼酎、そしてオードブルと、お酒も食事も豪勢でした。 今回食べ損ねた方、是非次回にご期待ください。大変好評につき、きっと定例のイベントになると思います。いや、なるはずです。( 2018.3.14 記 古谷 )

第255回定例会 伊坂さん「素晴らしきボクシングの世界」

"全員での記念撮影" title="全員での記念撮影" > まずは、明治維新150周年ということで、ここのところ鹿児島から講演依頼の続いている松前会長よりご挨拶いただき、鹿児島の盛り上がり振りをご披露いただきました。 そして、昨年5月「競輪の魅力」の演題で講演いただいた伊坂仁志さんに、スポーツ講演第二弾として、「素晴らしきボクシングの世界」と題した講演会に入りました。 伊坂さんの講演会の内容をかいつまんで書くと以下のようになるかと思います。「ボクシングのルーツは紀元前4,000年のエジプトの時代まで遡ることができ、素手で殴り合う、というごく自然で単純な形だけに歴史は長い。1867年に現代的なルールが成立し、現代に至っている。わが国でのボクシングの始まりは、1854年のペリー来航時に彼の部下の水兵と大関・小柳常吉が戦った時で明治維新より以前のこと。ボクシング選手はメキシコとアメリカには3,000人以上いて、日本は1,400名で第3位。最近のボクシング人気は凋落気味で、ファイトマネーも少なく、世界チャンピオンになって初めてプロボクシング一本で生活できるくらいに厳しい。ただし、ラスベカスでは1試合の選手のファイトマネーが240億円を超えたことがある。ボクシングには減量がつきもので、最後の最後は献血して血を抜くこともある。逆に、試合前日に行われる検量後には、一気に食べ飲んで6~10キロもアップさせてパンチ力をパワーアップする。プロボクサーは厳しい練習を積んでおり、また動体視力に優れたものを持っているので、どんなにケンカの強い人が本気でプロボクサーにかかっていっても上手くかわされて絶対に当たらない。具志堅用高は一見パンチドランカーのようだが、そうではなく、あれは天性のもので、ジム維持のためにテレビに出ているようなもの」というような非常に興味深い講演でした。 講演会後、持参された8オンス( 226グラム )グローブを使って、希望者がパンチを繰り出し、トレーナー役の伊坂さんがパンチを専用具で受けるという余興もありました。 これには多くの方が挑戦し、やはりボクシングは人の持つ闘争本能を強く刺激するものだと思った次第です。 恒例の近況報告では、柴田初代会長が、昨年12月に引き続いて再度「福田侠平遺髪墓移転案」について説明されました。次回は3月12日月曜日、大内地域交流センターで、伊嶋正之さんによる「蕎麦打ちデモンストレーションと蕎麦試食会」が開催されます。 どうぞ、次回も奮ってご参加下さい。ただし、いつもと異なる開催日、開催場所にはくれぐれもご注意下さい。                                (Web担当・古谷眞之助 記 )